さぽうと21の活動内容やボランティア情報「目黒にある難民むけの学習支援室」

さぽうと21の活動 NPOとは
毎週土曜日に開く、学習支援室の様子

難民と聞くと海外のことのように感じる人が多いかもしれない。だが日本にも難民はいる。ミャンマーやベトナム、コンゴ、エチオピアなど、非営利団体「さぽうと21」が開く学習支援室には、毎週50人を超える難民や難民二世の小中高生などがやってくる。

目黒駅にあるオフィスでは、国籍も年代もさまざまな難民の人たちが、朝10時から夜6時まで日本語や算数などの学校教科、パソコンの使い方など自分に必要なことを学んでいく。

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さぽうと21の学習支援室は、「ご近所さん」のような雰囲気の場所

勉強を教えるのは、社会人や学生のボランティアたちだ。難民が多様なら、ボランティアも多様。若い学生もいれば、教師の人、主婦、企業を引退した男性もいる。仕切りのない広い部屋に、雑然と並べられた机に向かい、難民とボランティアはマンツーマンでそれぞれの学習に取り組む。

「きちんとしていない方が気楽なんです。机を整然と並べるような環境だと新しいことは生まれません。ここは臨時のご近所さんのような雰囲気の場所です」と、「さぽうと21」スタッフの学習支援室コーディネーター矢崎理恵さんは言う。

難民もボランティアも継続する人が多い。毎週電車で遠方から来る人もいる。年齢も境遇もばらばらな人たちがいる環境は、難民にとってもボランティアにとっても、いつものコミュニティでは出会えない人たちに出会える場所という魅力がある。

学習支援室では、基本的には学習をする場所だが、ひとり本を読んでいるような子どももいる。でもどこかで「ご近所さん」の誰かが見ていてくれるという安心感もある。誰もがそこにいていいという心地よさがある場所だ。

難民への教育支援を続けて37年のさぽうと21

「さぽうと21」は1979年から、難民の教育支援を行ってきた。「日本に定住する難民、中国帰国者、日系定住者とその子弟など」を支援の対象としている。

「難民の親たちは自分たちが苦労した分、子どもたちには大学へ行って将来良い生活をしてほしいという思いが強い」と矢崎さんは言う。しかし、日本で生まれたからといって難民の子どもたちが一般的な日本人と同じように勉強することは難しい。

「難民として日本に来た親たちは家では母語を話します。だから難民二世の子どもたちは家庭での言語と外での言語が異なり、どちらも中途半端になることは多いです。学習言語と生活言語の違いから、日本人なら当り前の言葉や情報を知らないこともあり、結果的に勉強が遅れてしまいます」と課題を指摘する。

勉強が遅れることで、将来の選択肢も減ってしまう。親の期待があっても社会に出てフリーターとなる子もいる。矢崎さんは、「でも、子どもたちには親のせいにはしてほしくない。学力をつけたり、いろいろな人と出会ったりして、将来の選択肢を多くもってほしいと思っています。どれだけ可能性を増やせるかが、日本社会は試されているのではないでしょうか」と思いを語った。

冠婚葬祭マナーなど日本の生活に役立つワークショップ開く

「日本に住む難民の家族は、一般的な日本人と比べてさまざまな面で情報不足に陥ることがあります。正しい情報提供をすることで、この問題を解消しています」とスタッフの長島みどりさんは言う。「さぽうと21」では、学習支援以外に相談事業も柱として行っている。

日本の習慣を知らずに行動してしまうことで、周囲に誤解を与えてしまうこともある。「お葬式に参列したある難民の親子の話で、親御さんはきちっとフォーマルな服装でいらしたのですが、お子さんは白い運動着でした。ただ知らなかっただけのことでも、周りの方に失礼な印象を与えてしまうかもしれません」。

そこで定期的にワークショップを行い、日本での生活に役立つ情報を提供する。テーマは毎回違う。年金医療制度や防犯対策、冠婚葬祭のマナーなどさまざまだ。子どもの教育にかかるお金をテーマに取り上げた会では、専門家が将来かかるコストや早いうちに貯金することの大切さを伝えた。

困っている学生たちに支援金を届ける

言葉の問題によって職業も限られるため、経済面で苦労している難民の家庭は多い。「さぽうと21」では学校生活に必要な資金の一部を提供する取り組みも行う。給付型で年間約50人に支給する。

長島さんは「利用できる給付型の奨学金には限りがあります。学習に課題を抱えながらも懸命に取り組む学生たちが学業に集中できるよう、返済義務のない支援金をできるだけ多くの学生たちに届けたいです」と語った。

日本で生まれた難民2世の子どもたちは、自分のルーツに悩むこともある。長島さんは「支援金を支給している学生たちを対象にして、さまざまなルーツを持つ学生同士が知り合う機会も設けています。特に同じような悩みをもつ先輩からの話は説得力があるようです」と言う。

生活面でも、学習面でも、難民として日本に住む人たちにはあまり知られない苦労がある。今後日本政府はシリア難民の留学生を最大150人受け入れる方針を発表している。しかし、ただ難民を受け入れるだけでは、日本の生活で困難に直面する人も出てくるだろう。「さぽうと21」のように日本での生活や学習を支援する取り組みが今後さらに必要となってくる。

日本に住む難民の子どもたちが、給付型奨学金で夢を目指す

さぽうと21は2005年から「坪井基金」として給付型奨学金の提供を始めている。東京で支援を受けた9人の話を聞いた。ペルー・ベトナム・ナイジェリア・カンボジア・ブラジルがルーツだ。

日本に住む難民の子どもたちは経済的に厳しい状況にある。だが、夢を目指し大学や大学院などで学業を続けたいという学生もたくさんいる。坪井基金は毎年10人の大学生・大学院生が対象。金額は毎月5万円から。学業の応援をする。これまでに120名、14ヶ国の学生へ支援をしてきた。難民として日本に来た親は、言葉や文化の違いから工場や飲食店など限られた仕事につくことが多く経済的に厳しい家庭が多い。

2017年に支援を受けた、ナイジェリア人の親をもつ女子大生は、日本で生まれ日本で育った。親は30年ほど前に日本に来た。外見から周囲は外国人と見るが、自分は日本の文化で育ってきた。

「私って何人なんだろうって悩みました」。

親はナイジェリア人だが、ナイジェリアに行ったときもホームと呼ぶのは違うと思った。大学は国際基督教大学に入り文化人類学を専攻。自分の悩んでいたことから「移住者二世のアイデンティティー意識」をテーマに研究を始めた。同じような立場の人にインタビューをする中で、ポジティブに考えられるようになった。自分がいることで周囲に多様な文化の理解が広がることもある。

ベトナムにルーツをもつ男性は、日本で生まれ育ち国籍も日本人だ。さぽうと21とは高校のときに出会い、大学からは奨学金の支援を受けてきた。現在は慶応義塾大学大学院で人工知能の研究をしている。「さぽうと歴は9年目。奨学金のおかげで今の勉強ができている」と話す。

IPS細胞の研究を京都大学大学院で行うペルーがルーツの男性もいる。来年度からは学術振興会の特別研究員に採用されたという。これからも好きな研究にまい進していく。

難民の子どもという状況は、苦労することも多いだろう。だが、家庭にある文化と日本の文化、多様な世界を知っているという強みや、苦しい環境を越えた強さがある。大きな夢を目指す学生たちの話す言葉は力強かった。