渋澤健氏が語る「Made with Japan」の未来像──Tech for Impact Summit 2025

イベント

「Tech for Impact Summit 2025」が10月7日、虎ノ門ヒルズフォーラムで開催された。全体のテーマは、「Beyond Boundaries: Building 2050 Together(境界を超えて、共に築く2050)」。

基調講演には渋澤健氏が登壇。「日本の新しい時代における課題と可能性」として、日本の歴史のリズムと人口動態の変化を踏まえた未来への展望を語った。

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歴史に刻まれた「破壊と繁栄」のリズム

渋澤氏は冒頭、マーク・トウェインの言葉を紹介。

History doesn’t repeat itself, but it often rhymes.(歴史は繰り返さないが、韻を踏む)

未来は直線的に訪れるものではなく、歴史には「リズム(周期)」があるという視点から、日本の歴史を振り返った。

明治維新から続く30年周期

日本の近代史を振り返ると、およそ30年ごとに「破壊」と「繁栄」が交互に訪れてきたと渋澤氏は指摘。

  1. 1870年〜(破壊):明治維新。270年間続いた江戸時代の常識が破壊され、現在の経済社会の基盤が築かれた。
  2. 1900年〜(繁栄):日露戦争があり、当時弱小だった日本が先進国に並び立つという大きな出来事があった。当時の日本国民が最も豊かな生活を送っていた繁栄の時代。
  3. 1930年〜(破壊):次の時代は破壊、すなわち戦争の時代へと入ってしまう。二度と繰り返してはならない悲しい時代。
  4. 1960年〜(繁栄):この時代に「グレート・リセット」が起こり、次の「ニューノーマル」としての繁栄期に入る。日本は高度成長期を迎え、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と称される繁栄の30年を経験。
  5. 1990年〜(破壊):しかし、80年代後半には「日本はもうアメリカやヨーロッパに学ぶことは何もない」という傲慢な声が聞こえていた。1990年以降、日本は「失われた10年」に入り、それが20年、30年と続き、大停滞、無力感が続いた。

1990年以降の30年は単なる停滞ではなく、常識が「破壊された30年」。そして、2025年の現在、これから新しい周期が始まるはずと語った。

新型コロナウイルス、ウクライナ侵攻という「時代の節目」

2019年、新型コロナウイルスの感染拡大が社会の常識を一変させた。その後、ロシアのウクライナ侵攻や中東情勢の緊迫化など、世界は急激に変化。あらゆる意味で常識が破壊され、当たり前と思っていたことが次々と崩れ落ち、破壊の瞬間が訪れた。

人口動態の激変が時代を動かす

渋澤氏は2020年を節目と捉える。その根拠が、日本の「人口構成」の変化だ。

  • 昭和(人口ボーナス期):若年層が多く、壮年層を支えるピラミッド型構造。社会保障制度が確立し、繁栄の基盤となった。
  • 平成(緩やかな移行期):樽型(共端型)に移行し、安定期が続く。
  • 令和(大転換期):2020年を境に、高齢化・少子化が急速に進行。社会構造が急激に変化している。

日常生活では変化を実感しづらいものの、長期的に見れば歴史的な転換点にあるという。

令和の成功モデルは「Made with Japan」

今後、日本が次に目指すべき経済モデルとして提唱するのが「Made with Japan」だ。

  • 昭和:「Made in Japan」──日本は主に先進国の大衆消費を満たす「大量生産」モデルで大成功を収め、その成功ゆえに「ジャパン・バッシング」を受けた。
  • 平成:「Made by Japan」──日本は「Made by Japan」へと転換したが、終わり頃には日本が置き去りにされる結果となってしまった。
  • 令和:「Made with Japan」──日本の生活観や価値観を世界と「共に」創る時代へ。

特に人口の多い「グローバルサウス」では、仕事・住居・家族といった基礎的なニーズを満たす支援が求められている。日本は、大企業だけでなく中小企業・スタートアップも含め、多様な主体がこうした課題解決に貢献できる可能性を持っている。

「Made with Japan」とは、世界の課題解決と利益創出を両立する取り組みです。渋澤氏は、アフリカ、ヨーロッパ、アメリカなど各地で「日本と一緒に取り組みたい」という声が高まっていると紹介。

日本の人口減少が進んだとしても、世界中の多くの人々が、「今、自分たちの生活が成り立っているのは日本が一緒に伴走してくれているからだ」という意識が広がることで、豊かな未来を築くことができる──それが渋澤氏が示す未来像だ。

編集後記

渋澤氏の講演は、経済の話にとどまらず、「社会構造と価値観の転換」を示唆するものであった。そして歴史には周期があるという話は、NPOセクターにとっても関連深い内容だった。NPO法ができたのは1998年。この失われた時代に、NPOセクター、市民セクターが急速に広がっていった。NPO法人数も6万に近づいていった。そして、この数年、NPO法の数は減少。ついに5万法人を下回ってしまったのだ。法人数が全ての判断基準ではないが、ここからの30年、NPOセクターがどのように変化し、「共に」創る時代に、役割を果たしていくのだろうか──。