NGOの仕事―シャプラニール京井杏奈さん「大変な仕事も”世界を変える”につながるから面白い」

ngoでの仕事 NPOインタビュー

「NGOの仕事で面白いのは、学生との出会いや関わりがすごく多いこと。合宿は大変だけど、大学生と共にワークショップを考え、合宿中に中高生が悩む姿や変わっていく姿をみるとやりがいを感じる」国際協力NGO「シャプラニール=市民による海外協力の会」で働く京井杏奈さんにNGOの仕事内容や働くきっかけの話を聞いた。

国際協力団体の活動内容
国際協力団体の活動内容


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いつかは国際協力(NGO)の仕事がしたいと思っていた

京井さんの担当は「国内活動」。バングラデシュなど現場での状況を国内で伝えるために講演をしたり、イベントを開催したり、フェアトレード商品の販売も行う。支援者を増やすためのファンドレイジングも大きな役割だ。国内活動と一口にいっても多岐に渡る仕事がある。NGOには、最低限のスタッフ数しかいないので、1年目だろうと教育してくれる人はいない。自分一人でやらなくてはいけないことが多いし、初めてやる仕事でもやっていくなかで身につけていくしかない。

「ある程度の基礎がないときつかった。前職のカード会社の法人営業で培った経験があってよかった。人前で話すことも最初は苦手だった。文章を書いたり、イベントを企画したり、経営戦略も考えたり。こんなことまでやるのかと大変な思いもしたが、どんどんできることの幅が広がっていくのでやりがいはすごくあった」。

企業からNGOへ転身したのは、2008年。転職を考えていた頃、偶然見つけたのが「シャプラニール」だった。シャプラニールはNGOの最古のひとつ。設立から40年以上の歴史をもつ団体だ。南アジアのエキスパートとして、バングラデシュやインド、ネパールで活動を実施している。

「NGOで働きたいと思って探していた。活動のビジョンに共感できることや、東京で生活できる給料があることなど、自分なりの基準を作っていた」。シャプラニールは1971年、バングラデシュ独立の翌年に日本の青年ボランティアたちが立ち上げた団体。40年以上続く団体だが、京井さんも当時は知らなかった。NGO求人情報サイトで見つけてから面接に至るまで「ここって本当に大丈夫か」と不安はあったという。

学生の頃からいつかは国際協力の仕事がしたいと思っていた。一度企業を経たのは20歳の頃に出会ったNGOの代表の言葉があったからだ。
「全員が全員ボランティアの仕事をしていたら世の中はまわらないんだから、無理して今全員がそのことをやる必要はないんだ。本当にやりたいと思ったら、回り道をしてもそこに戻ってくるんだから」。

フィリピンの子どもたちの心はとても豊かに感じた

1983年神奈川生まれの京井さんは、父親の転勤で小学校3年生のときにインドネシアのジャカルタという町に住んでいた。子供心に忘れられない光景があると京井さんはいう。
「移動はいつも車で、信号で止まるたびに子供たちが窓をドンドンってたたく。新聞売ったり、お金頂戴って言ったり。雨が降っていたときには車から降りると同い年くらいの子供が傘をさしてくれた。それで『お金頂戴』って。なんでこの子たちはここにいるんだろうって思った。この子のお母さんはどこにいるんだろうとか、なんだろう、という疑問が生まれた」。

5年生のときに帰国。それから海外へ行く機会はほとんどなく、普通の日々のなか、徐々にインドネシアでの記憶は薄れていった。だが、あるときハッと思い出した。高校3年、大学受験の時期だ。進路は決まっていなかった。「なんのために大学行くんだろう。何を勉強したいんだろう」。自分を振り返った。すると、インドネシアであのとき出会った子供たちの記憶がよみがえってきた。「なんでこの子たちはここにいるんだろう」って思った記憶。子供のときは分からなかったから、勉強して知りたいと思った。

大学では開発経済学を専攻したが、勉強だけではなく実際に現場での経験もしようと、大学2年のときにフィリピンでのワークキャンプに参加した。ACTIONというNPOが主催する海外ボランティアプログラムだ。1カ月間マニラから車で5時間ほどの田舎で過ごした。そこには児童養護施設があり、そこで暮らす子供たちと同じ場所で寝泊まりをした。

初めての海外ボランティアだったが、そこで出会う子供たちには何かをしてあげるというより教わることの方が多かった。
「子供たちは妙に大人で、すごく我慢をしていた。家族が一カ月に一回遊びにくるのを待って、日本人からもらったシャボン玉を妹にあげるから私はやらないんだって、とっておく。この子供たちは経済的には貧しいかもしれないけれど、すごく心は豊かに感じた。同時に日本人の私は何をしているんだろうと無力感も感じた」。

国際協力って一方的なものではなくて、現場から学ぶことが多いのではないかと思うようになった。このときの経験が現在のNGOで働く原体験となった。

その後もアルバイトでお金を貯めては、アジアばかり訪れた。「ベトナムやインドへ行った。安かったからもあるけど、屋台とか市場とかあの熱気とにおいが好き」。観光はあまりせずに何日も同じ場所を歩き、人や町を眺める。その土地の生活に触れると少しずつ違った世界が見えてくる。

「ここは子供たちが集まる場なんだなとか、ただの壁に新聞が貼られていて最初はなんだろうと思ったけど、実はそれは一人が買った新聞をみんなで見るために貼っているんだなとか分かってくる」。

何度もアジアを旅するうちに、アジアの障害者たちは日本より堂々と道を歩いているなってことに気づいた。日本のバリアフリー環境は、フラットだしエレベーターも多い。けれども日本の障害者は窮屈そうに過ごしている。アジアの方が環境は整っていないけれど普通に暮らしている。「豊かな人が貧しい人に手を差し伸べるのではなくて、お互いが学び合う姿勢が大事なんだ」最初にフィリピンで感じた想いが確固たるものとなっていった。

NGOの仕事は最終的に世界を変えていくことにつながるから面白い

シャプラニールで働き始めて6年。国内活動の仕事を希望したのは日本の子供たちに伝えていきたいと思ったからだ。現場の活動では一人の空腹の子に手を差し伸べるだけではなく、その子の周囲にいる人の意識も変えていくことがとても大切だ。日本での活動も同じ。一人ひとりの意識を少しずつでも変えていく必要がある。そのために若いころに実際の現場を経験してもらう、中高生向けのスタディツアーを企画した。

参加した中高生は「親に言われてきただけ」と言ったり、手で食べるって言ったのにマニキュアを塗ったり、最初の数日は反抗的な子がいることもある。だが、井戸の水でシャワーを浴びたり、手で洗濯をしたり、現地の人と話したり、現場でのリアルな体験を積み重ねることでどんどん変わっていく。物乞いにあったとき、自分には何もできなかったって泣いてしまった子もいる。この子供たちがいつの日か「この経験が国際協力のきっかけになった」と国際協力の舞台にたつこともあるだろう。京井さんが学生の頃に出会ったように、今、多くの学生にきっかけを提供している。

「今の子供たちが大人になったときに、当たり前の生活のなかで世界のことを考え、自分たちのやっていることがどう影響しているのかを考える世の中にしていきたい。大変なこともあるけれども、NGOの仕事は最終的に世界を変えていくってことにつながっていくから面白い」。