「国際NGOの職員として25年、現在はカフェのマスター」JVC日本国際ボランティアセンター清水俊弘さん

2015/06/11 NPO・CSR ライター 辻陽一郎


南アルプスの山々が大パノラマに見渡せる山梨県の穴山という小さな町に「おちゃのじかん」という夫婦で営む小さなカフェがある。手作りの木製ベンチで自然にも身体にも優しい食材を使ったランチやパン、珈琲とこだわりが感じられる品々だ。

●Think Global Act Localな生活を送っていく

カフェのマスター、清水俊弘さんは、2012年まで25年間、国際NGOの先駆けでもある日本国際ボランティアセンター(JVC)の職員として世界中の難民キャンプや紛争地の支援に奮闘した人だ。JVCを退いたいまもカフェのマスターというだけでなく、地域の子どもたちを相手に寺子屋を開き、JVCで経験したカンボジアやアフガニスタンの現場の話をしたり、大人向けにも国際NGOの理解を深めるセミナーを開いたりと、国際NGOの顔も持ち続けている。地域活性のイベントも定期的に開催していて活動範囲が幅広い。

「地域を元気にすることが色々なことの改善につながる基礎となると思う。これからは穴山という過疎地からThink Global Act Localな生活を送っていく」。清水さんの次なるNGO人生が始まっていた。

国際NGOの人として、寺子屋だけでなく複数の大学で講師を務め現場での経験を伝える役割も担う。若い人たちにとって生のNGOの話を聞く機会はまだ少ない現状にあるので貴重な知る機会・学ぶ機会となっているようだ。だが、葛藤もあり、関心をもつ学生は増えてきているが、現実的に清水さんのように進路としてNGOに進む学生は少ない。
「関心を持った人が深く関わっていける受け皿となれる、組織としてしっかりしたNGOがもっと必要だ」という。清水さんにとってはそれがJVCだった。

●深刻な問題は世界中にある。現場で直接関わりたい

NGOという言葉にもあまり馴染みのない1980年頃、清水さんは大学で体育会ハンドボール部の練習に明け暮れ、大学時代は地元からほとんど出ないドメスティックな生活を送っていた。部活も引退の時期で大学生活も終盤にさしかかった頃、ニュースでふと目にしたアフリカの飢餓難民が頭に残った。自分が今まさに生きている同時代に信じられないことが起きている。同じ時期に新聞で「JVCがアフリカ援助」という記事を偶然見つけ、ハッとした。

「現場でこういう活動をしている人がいるのか!」社会に出てどうするのか考えている時期だったこともあり、何かやらせてほしいとすぐに電話をした。JVCでのボランティアに没頭するうちに卒業が迫っていた。
「深刻な問題は世界中にある。現場で直接関わりたい、いつかJVCで働き現場へ行きたい」そんな思いが強くなっていた。一方、卒業間近だったこともあり、まずは教員として数年働く道に進んだ。その間にもJVCでのボランティアは続け、当時の事務局長にもそんな想いは伝えていた。

1987年、当時25歳のとき念願かないJVCのスタッフとなることができた。最初の赴任先はカンボジア内戦の難民であふれるタイ国境付近の「カオイダン難民キャンプ」だ。プロジェクト調整員としての仕事だった。5万人を越える難民があふれてかえっている中、日々世界中から送られてくる物資・資金・ボランティアでごったがえす難民キャンプにはそれらを束ねられるコーディネーターが必要だった。

タイ国境には複数の難民キャンプがあり、JVCが活動するカオイダンキャンプには5万人もの難民たちであふれていた。当時世界中の人々が注目していた難民キャンプは「援助のショーウィンドウ」とまで言われ、キャンプ内で展開される様々な支援活動や、第三国定住の可能性への期待が逆に難民を増やす事態にもなり、援助のあり方が現場では問われていた。

●NGOにとって大切なことは、当事者である現地の人たちの主体性を大事にすること

「現地にいって分かったのは、そこに必要な技術・知識はすべてそこに暮らす人々が知っているということ。外から入る僕らNGOの役割はそれを実行可能にするための手続きや資金の確保など、、プログラムを作っていく上で必要なことを調整すること。あとは自然に彼らで動かせる。」と、押しつけの援助ではなく現地の人のニーズにあった活動を清水さんたちは行っていた。難民キャンプで職業訓練の学校を運営していた時も、タイ政府や国連機関との調整や運営資金さえ確保できれば、学校の運営はほとんどキャンプにいる難民自身に任せていられた。

「NGOにとって大切なことは、当事者である現地の人たちの主体性を大事にすること、そして彼らの生の声を一次情報として拾い、それらを必要な諸政策に活かせるように然るべき相手に伝えていくことだ。政府の役人には言わないことも市民の立場にいるからこそ、打ち明けてくれることがある」という。政府の人たちはどっぷりと現地の人の生活に入っていくことはできない。

「現地の人とのコミュニケーションで一番いいのは、言葉を覚えること。言葉が分かると人間関係も見えてくるし、彼らからの信頼も得られる」。現地の人々といい関係を築くことは、活動の効果を上げるだけでなく、自らの安全を担保する意味でも効果的だ。

国際援助において政府にはできず、NGOだからこそできる役割は現地の人たちの中に入りつなぎ直す“横”の動き。そして政府・国際機関などの援助を調整し、まとめていく”縦”の動き。政府レベルとの交渉にはNGO同士の結束が必要不可欠だ。そのため清水さんはNGOのネットワーク形成にも力を注いだ。

カンボジアでは現地や世界中のNGOが集まったCCC(Corporation Committee for Cambodia)というネットワーク組織があったが、カンボジア在任中に副議長も務めた。CCCを通してNGOの意見を集約し政府に提言したり、「ウォッチドッグ」的に政府のやることを監視したりもする。あるとき、日本政府が国内で売れなくなった期限切れ・使用禁止の農薬をODAとしてカンボジアに配布しようとしたことがある。その情報を入手したNGOたちが声を上げ、激しい議論の末白紙に戻したこともある。

「日本では国内に向いている省庁は日本人の目にさらされるが、海の外で展開される、外交や開発援助は一般の目に触れることはあまりないのでチェックされない。特に現地の市民生活に悪影響を及ぼすような事業が実施されるような恐れがある場合は、しっかりと監視して正しい方向に向かうような提言をしていくこともNGOの役割だと思っている。」

清水さんは副議長としてCCCで活躍していたが、当時こうした国際的なナットワークに積極的に参加する日本のNGOはほとんどいなかった。だが日本政府はカンボジア復興のトップドナーとして大きな影響を持っていたので、それを監視し、政策対話のできる日本のNGOの存在は重要だった。そのためCCCの各ワーキンググループのほとんどに清水さんは顔を出していた。こうした経験がその後の清水さんのNGO人生に活かされていくのだった。

●ドラマティックな時期に歴史を感じる仕事ができたと思う

87年に難民キャンプから始まったNGO人生は、東京本部で勤務を経た後カンボジア事務所代表となり、その後も東チモールや2001年の911以後はアフガニスタン緊急対応も経験した。国内では阪神淡路大震災の後のNPO法成立や97年の対人地雷全面禁止条約の成立にも関わるなど常に国内外の変化の渦の中にいた。そして2002年からは10年間JVCの事務局長を務め、2012年に退職した(現在は理事)。

「課題があるからこそ生まれるNGOの仕事は、本当はない方がいいのだけれど、ドラマティックな時期に歴史を感じる仕事ができたと思う」。1つのNGOで25年続けた清水さんのモチベーションを支えたのは、現場の中で「世界中に深刻な問題があるんだ」ということを常に肌で感じていたこと。その思いで目の前にある自分の役割に真摯に取り組んできた。

「カンボジアのこともアフガニスタンのことも、日本にとって人ごとではない。直接・間接的に関わっている問題だ。だから誰かが直接行って見聞きする必要がある。ある意味メディアのような役割にも近いけど、NGOはもっと当事者意識を持って、自分の問題として現地にじっくり関わるからより深く伝えられる立場でもある」

JVCを退いた今も、穴山の子どもたちや未来を担う学生たちに伝える役割に取り組んでいる。「今の若い人には、もっと奔放にやってほしい、そして貪欲に現場に行ってほしい」。25年続けたJVCを「キリがよかったから」とさらりとやめ、清水さんは今も新たなる現場へ進んでいる。

○おちゃのじかんアルバム

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○清水さん関連リンク先

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2015/06/11