心のバリアフリーとは「二つの事例から見る実現へのヒント」

心のバリア 社会課題

ハードの整備だけではない。心のバリアフリー社会を目指すために、日本人はまず障害者へのイメージを変えなくてはならない。10日夜に行われた「心のバリアフリー」がテーマのイベントで、日本バリアフリー推進機構理事長の中村元さんは「福祉の概念が進んでいる日本では、障害者は助ける対象となってしまう」と指摘した。

この記事では日本一のバリアフリー観光地をめざす伊勢志摩の事例と、心のバリアをなくす川崎市とNPOのまちづくりの事例から実現へのヒントをみる。

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心のバリアフリーとは障害がある人もない人も同じように応対

中村さんは、伊勢志摩を日本一のバリアフリー観光地にするプロジェクトを手がけている。心のバリアフリー観光地のベースには「体の不自由な旅行者を一人の旅行者としてもてなす」という意識がある。

例えば、伊勢神宮の近くに古い小さなうどん屋がある。決してバリアフリーなお店ではない。だが、車椅子のお客がくると店員が慌てることもなく椅子を2つ抜く応対を当たり前に行う。

中村さんは「日本ではいまだに、車椅子を断る店や、特別な人が来たように慌ててしまう店が多い。店の人には普通の客と同じように応対してほしい」と話した。

助けるではなくその人にあったおもてなし

うどん屋の店員は、障害者を助けたとか配慮したという意識もないだろう。どんな人が来ても、その人が過ごしやすいようにすることがおもてなしであり、車椅子の人にとっては椅子を2つ抜いたというだけのことだ。

しかし、日本では、こうした気遣いが障害者相手となると助けるになってしまいがち。うどん屋のように自然にすることが心のバリアフリーがある社会の目指すべき姿だろう。

内閣府によれば何らかの障害がある人は人口の約6%ほど。16人に1人くらいの割合だ。しかし、障害者と接することはほとんどない。日本の学校教育では障害者は分けて教育する。社会に出てからも障害者は施設や特例子会社など分離した環境で働く。日本人には障害者は特別という意識が植え付けられてしまっている。そのため、「助ける」という発想にどうしてもなりやすい。

障害者と親しくなることが心のバリアフリーの近道

今の特別な人たちを助けるという発想では本当の意味で「心のバリアフリー社会」は実現できない。ではなぜ、伊勢のうどん屋はできたのか。慣れていたからだ。日本一のバリアフリー観光地にはたくさんの車椅子観光客も来る。触れ合ううちに特別な意識もなくなっていったのだろう。

だから、まずは障害者と接する機会を増やし慣れ親しむことだ。一人親しくなれば、特別な人ではなく、自分と同じだという意識をもつことができるだろう。そして、その上でできるサポートのことも自然と分かってくる。

心のバリアフリーへ 川崎市とNPOのまちづくり

応援グッズをおずおずと手渡す知的障害のある若者。あれっという表情をする観客。等々力アリーナ(神奈川県川崎市)で行われた女子バレーボール国内リーグの試合で、約2000人の観客を出迎えるスタッフの中には知的障害や精神障害の人たちがいた。

「日本人は障害者と接することに慣れていない。障害者に対する無知が恐怖を生み、慣れてないから心のバリアが生まれ、差別につながってしまう。だから障害者と出会う機会を増やして慣れてもらうことで、差別を解消したい」と話すのはNPO法人ピープルデザイン研究所の田中真宏さん。

障害があってもなくても人々が自然に混ざり合うまちをデザイン

川崎市とピープルデザインが連携して、2014年から障害者の就労体験事業を開始した。目指すのは、障害があってもなくても人々が自然に混ざり合う「まち」をデザインすることだ。

日本の社会はこれまで、障害者などのマイノリティを分離してきた。働く場も生活する場も施設の中。閉鎖的な生活を送ってきた。しかし、両者が目指す「ダイバーシティなまち」とは、違いを知り、違いを認め合い、誰もが生きやすい空間だ。

女子バレーボールでの接客体験もその事業の一環だ。障害者が半日ほどイベントで観客を誘導したり、接客したりという「就労体験」を行い、ふれあう機会を作る。ふれあう回数が増えることで、少しずつ障害者に対する心のバリアが取り除かれていくだろう。

この就労体験事業は、基本的に毎週土曜日に実施している。バレーボールだけでなく、Jリーグやアメリカンフットボールなどのスポーツイベント、音楽フェスなど、明るくワクワクするようなイベントばかりだ。

参加者は川崎市内の福祉事業所から、希望する障害者など。毎回平均して10人ほどが参加。リピーターも多い。

障害者本人の成長にもつながる

観客にグッズを手渡す
観客にグッズを手渡す

昨年12月の女子バレーボールの試合では事業所の職員も含め14人が参加した。この日は障害者だけでなく、市内のホームレス自立支援施設からも数名の参加があった。等々力アリーナに朝9時半に集合し、13時頃までテントを設営したり、観客にグッズを渡したり、列の整理をしたりと、障害のある人もホームレスの人も、さまざまな「違い」を持つ人たちが協力して働く。

知的障害のある24歳の若者は、他施設の障害者とも積極的にコミュニケーションをとっていた。1時間ほど一緒に作業をしていると初対面でも自然と仲良くなっていく。

この就労体験は、障害者に対する無知を解消するだけでなく、障害者の成長にも寄与している。施設での仕事は、電球の袋詰めや箱折りなど屋内での作業が中心。そのため、人との出会いや新しい発見はほとんどない。

施設も年齢も超えて仲良くなる
施設も年齢も超えて仲良くなる

一緒に参加した施設の職員は「施設内では同じ人としか会わないけれど、ここでさまざまな人と出会うことで、新たな一面を発見できた。就労体験に参加するようになって成長を実感している。普段の作業にも影響していて、自主的に状況を見て仕事をするようになった」と嬉しそうに話した。

心のバリアフリーとは、本当に違いを認め合い混ざり合う社会

昨今、企業では障害者の雇用が促進されている。障害者に適した環境と業務を用意する特例子会社を設立するところも多く、障害者にとっては企業で働く選択肢が増え可能性も広がってきている。

しかし、違いを認め合い、真に混ざり合う社会になるには、もう一歩進む必要があるだろう。川崎市とピープルデザインが取り組む就労体験のように、障害のあるなしに関わらず一緒に働く。障害者の可能性を制限したり、分離したりしない。

まだまだダイバーシティなまちづくりは発展途上だ。一昔前は肌の色が違う外国人が珍しく、差別されることもあった。しかし、今では働く人も増え、レストランなどでも当たり前になってきた。むしろ、外国人なくしては日本社会は成り立たない。

障害者が働く姿を当たり前にまちで見かけるようになれば、日本の社会はきっと誰もが住みやすいまちに近づくだろう。

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